新年明けまして御目出度う御座います。
ここ数日の様々な報道に考えるだけで胸が痛みます。
被害に遭われた方の安全と、一日でも早く日常が取り戻せることを祈るばかりです。また、皆さまのご家族知人友人もご無事であることを心より願っております。
このNAJA SPAを通じて感じた事とメッセージを少し長くなりますが読んでいただけると嬉しいです。
不妊・婦人科疾患・月経のあらゆる不調
このようなお悩みを抱える女性に沢山関わらせて頂きました。
そしてクライアントさんのお悩みの殆どが
仕事を辞めたり、キャリアチェンジしたり、今いる環境を変えることで改善されている事に気がつきました。もちろん全員ではありませんが、ほぼ全員と言っていいレベルで。
これは果たして偶然なのでしょうか。
NAJA SPAでクライアントさんを通して見えた女性の生きづらさをより深く探究し、メンタルヘルス領域にアプローチをしていく必要性を感じました。
日本では心についてお互いに語る事が少ないように感じます。
頭と身体と心が繋がっていない。人は頭と心と身体が繋がってやっと強くなります。
NAJA Village Online Schoolを立ち上げたのも
女性の本来の”強さ”を取り戻すという想いが隠されています。
NVOSについては、こちらをご参照ください。
https://najaspa.com/najavillage-onlineschool/
メンタルヘルスを学ぶ場はまだまだ少ないですが、NVOSでは女性に特化したメンタルヘルスをカウンセリングやマッサージ療法を通じて学べる場となります。
そしてメンバー1人1人が
女性というアイデンティティを尊重しながら活躍できるようサポートする、とても特別なコミュニティスクールです。
今年からは身体だけではなく
様々な視点から、女性の生き方に寄り添うヘルスケアモデルを独自で形成していきたいと思いますので
どうぞ引き続きNAJA groupのご愛顧のほど宜しくお願い致します。
以下、カトリーン・マルサルの本より
メッセージとして、私のインスピレーションで一部分を引用させていただきます。
女子生徒は男子生徒よりいい成績をとっても、自信が持てずにいる。
うつ病はもはや女性の病気だ。
多くの女性が自分はダメだと感じている。
エネルギーが足りない、体力が足りない、わけもなく強い不安におそわれる。心身の限界を感じているのは看護師やケアワーカーだけではない。
給料のいい民間企業で働く女性たちも、男性より高い頻度で心身を壊し、休職に追いこまれている。
北欧ですら、そうなのだ。北欧は家庭とキャリアの両立がしやすい国々として世界から注目されているが、それでも女性たちは悩み、苦しんでいる。
「ワークライフバランス」という言葉は、公私の明確な区別を前提にしている。
私たちは二つの世界を行き来しながら生きている。
でも、その線引きを変えることはできないのだろうか?
女性は今でも、経済人の世界への平等なアクセスを求めて戦っている。
女は使えないと言われないために人よりがんばって働き、成果を上げる。だが同時に、家庭のこともきちんとできなければいけない。男性は仕事だけしていればいいのに、女性が同じことをするとダメな女だと言われるのだ。
仕事と家庭のバランスは「女性の」問題とされ、その解決は女性に丸投げされる。
もっと堂々とふるまいなさい、残業を減らしなさい、理解ある伴侶を見つけなさい、やることリストを工夫しなさい、生活をシンプルにしなさい、バッグの中身を捨てなさい、ヨガをやりなさい、時間をもっと管理しなさいー。
彼女の体はもはや生きた人間のものではなく、いつ妊娠するかわからない時限爆弾だ。
昇進のために必死で働いているあいだも、カチカチと時は刻まれていく。
そして時がくると、彼女の本当の姿があらわになる。経済人ではない、女性の姿が。
子どもを宿したときから、それまでのやり方は通用しなくなる。公私を分けておくのはもう不可能だ。
ふくらんだおなかを私生活の領域である家に置いてくることなどできない。
私生活の一部を持って出勤し、またそれを持って家に帰る。
それは自分の一部であり、自分自身なのだから。
いったいどうすればいいのか。経済人を前提にした職場は、そんなものを受け入れてくれない。
経済人の胸から母乳があふれ出ることはないし、ホルモンに振りまわされることもない。
彼には体がないからだ。
赤ちゃんが経済人に向かって吐き戻すことはない。
そんなことは起こりえない。
この現象は全般的に広がっていて、出身階層の違いや独身・結婚の区別、収入の多寡、住んでいる国、子どもの有無などに関係なく見られる。女性は一般に、人生にあまり満足していない。一方、男性は概して70年代よりも幸福度が上がっている。
これが「平等」の結果なのか。
それとも幸福の測り方がおかしいのだろうか。
幸福を測ること自体が無謀な試みなのだろうか。
こうした論争に決着はついていない。
欧州では男性と女性の幸福度がどちらも上昇してきているが、やはり男性のほうが上昇率は高い。
英国では男女の差はそれほど見られず、例外として離婚した父親は幸福度が低くなっている?
しかし先進国全体で見れば、女性は男性よりも強いストレスにさらされ、時間に追われている。
階層や職業の違いではなく、明らかにジェンダーによる違いだ。ところが女性が幸福ではないというとき、悪者にされるのはきまってフェミニズムである。
「経済人の世界で女性は苦しんでいるのだから、やっぱり女性は家にいるべきだ」という理屈にされてし
まう。
ミュージカル映画で一世を風靡した伝説のダンスコンビ、ジンジャー・ロジャースとフレッド・アステアをご存じだろうか。
女性のジンジャーは男性のフレッドとまったく同じ動きをこなした。ただし、後ろ向きで、足にはハイヒールを履いて。これが要するに、女性のやっていることだ。
私たちは娘の世代に「ありのままでいい」という成功の定義を残すことができなかったのだ。
もっとうまくやれ、もっとたくさんやれ、競争相手を蹴落とせ。
経済人の理想が女性の規範に加わった。
先進国で推し進められた女性の解放は、やるべきタスクをどんどん増やし、一歩踏みだす野心のリストになってしまった。
本当はもっと、いろいろな種類の自由が得られるはずだったのに。
ありのままでいられる自由が。
本当はみんな、男らしくなくていい。
競争社会でバリバリ戦えなくてもいい。
新しい女性とは、ペニスのついた女性のことではなかったはずだ。